吉村公三郎
吉村公三郎 | |
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导演 | |
出生 | |
逝世 | 2000年11月7日 | (89歲)
活跃年代 | 1939年-1974年 |
日語寫法 | |
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日語原文 | 吉村 公三郎 |
假名 | よしむら こうざぶろう |
平文式罗马字 | Yoshimura Kōzaburō |
吉村公三郎(1911年9月9日—2000年11月27日)是一位日本電影導演,活躍於昭和時代,生涯執導超過60部電影[2]。
生平
吉村公三郎於滋賀縣大津市出生[3][4][5]。吉村家經營同縣坂田郡山東町中山道脇本陣[4]。父親吉村平造是大阪朝日新聞社政治記者、歷任保險公司、大阪市副市町村長、第11代廣島市長(在任1915年1月~1916年12月),因此吉村2歲開始居住於京都市下京區,吉村4歳時移居廣島市大手町[3][5]。
11歳至12歳期間,吉村公三郎於東京向島生活。之後因為關東大地震,吉村移居滋賀縣山東町[5]。1924年,吉村於進入岐阜縣立大垣中学(現在的岐阜縣立大垣北高校),但是在中學4年級時退学[5]。之後轉入東京私立日本中學(現在的日本學園高校),隔年順利畢業。
1929年,吉村公三郎於松竹蒲田撮影所擔任助手見習[6]。入社後、吉村曾擔任島津保次郎、五所平之助、豐田四郎、成瀨巳喜男助理導演。1939年,吉村拍攝處女作《女こそ家を守れ》。吉村之後與高峰三枝子、原節子、京町子等女演員合作[7],因此被稱為「女性電影巨匠」。1943年10月,吉村公三郎因為受到政府徵招而入伍,擔任機關槍隊的小隊長,前往南方戰線。
1947年,吉村返回日本拍攝《安城家的舞會》,獲得許多正面評價,而他以後許多作品都是由新藤兼人編寫腳本。1950年,吉村與新藤兼人設立近代電影協会,作品主要由大映製作。1951年,吉村以《偽れる盛装》獲得每日電影獎最佳導演獎,岸惠子於當年加入松竹大船撮影所[8]。昭和40年代,吉村公三郎與山本富士子、京町子合作《夜之河》與《夜之蝶》等女性電影,並且與脚本家田中澄江合作。
1963年,吉村公三郎腦出血。1972年,吉村整個胃需要摘除,體力大不如前。1974年,三國連太郎主演之《襤褸之旗》為吉村公三郎最後執導之電影。1976年,吉村獲得紫綬褒章。1982年,吉村獲得勲四等旭日小綬章。1985年,電影導演牛原虚彦去世,吉村擔任葬儀委員長。1994年,新藤兼人的妻子乙羽信子去世後,吉村再度擔任葬儀委員長[9][10]。
2000年11月27日,吉村公三郎因急性心衰竭去世,終年89歲。
家族
吉村公三郎長兄為文学家吉村正一郎。吉村公三郎育有4個小孩、長男為NHK解説委員吉村秀實。
作品
- 《暖流 前篇 啓子の巻》 (松竹大船、1939年12月1日上映)
- 《暖流 後篇 ぎんの巻》 (松竹大船、1939年12月1日上映)
- 《西住戦車長伝》[11]
- 《敵機空襲》 (松竹大船、1943年4月1日上映)
- 《間諜未だ死せず》[12]
- 《安城家舞會》(1947年)
- 《偽れる盛装》(1950年)
- 《戦火の果て》(1950年)
- 《源氏物語》 (大映京都、1951年11月2日上映)
- 《夜明け前》(1953年)
- 《夜之河》(1956年)
- 《大阪物語》 (大映京都、1957年3月3日上映)
- 《夜之蝶》(1957年)
- 《女経第三話恋を忘れていた女》 (大映東京、1960年1月14日上映)
- 《その夜は忘れない》(1962年)
著作
- 映画の技術と見方 至文堂 1952 (学生教養新書)
- あの人この人 協同企画出版部 1967
- 映画のいのち 私の戦後史 玉川大学出版部 1976 (玉川選書)
- 読書の愉しみ 玉川大学出版部 1977.6 (玉川選書)
- 京の路地裏 読売新聞社 1978.3 のち岩波同時代ライブラリー、岩波現代文庫
- 青春の読書 玉川大学出版部 1978.12 (玉川選書)
- 映像の演出 岩波新書 1979.9
- キネマの時代 監督修業物語 共同通信社 1985.6
- わが映画黄金時代 ノーベル書房 1993.11
- 味の歳時記 岩波書店・同時代ライブラリー 1995.11
參考資料
- ^ Obituary: Kozaburo Yoshimura. Japan Times. [2010-07-26]. (原始内容存档于2010-12-07).
- ^ Yoshimura Kōzaburō. Japanese Movie Database. [4 December 2010]. (原始内容存档于2018-06-26) (日语).
- ^ 3.0 3.1 『京の路地裏』P.258-260
- ^ 4.0 4.1 『キネマの時代 監督修業物語』P.12-31
- ^ 5.0 5.1 5.2 5.3 『映画は枠(フレーム)だ! 吉村公三郎人と作品』P.12-23、274-276
- ^ Yoshimura Kōzaburō. Nihon jinmei daijiten. Kōdansha. [4 December 2010]. (原始内容存档于2014-07-11) (日语).
- ^ 朝日新聞 2000年11月27日 夕刊 P.5 惜別
- ^ 週刊AERA 1994年10月10日号 P.55
- ^ 朝日新聞 1985年5月21日 朝刊 P.23、社会面
- ^ 朝日新聞 1994年12月23日 朝刊 P.27、社会面
- ^ High, Peter B. (2003). The Imperial Screen. Wisconsin Studies in Film. The University of Wisconsin Press. pp. 167–168,211–213. ISBN 0-299-18134-0
- ^ High, Peter B. (2003). The Imperial Screen. Wisconsin Studies in Film. The University of Wisconsin Press. pp. 444–445. ISBN 0-299-18134-0.
文獻
- 『京の路地裏』岩波現代文庫 2006年
- 『映画は枠(フレーム)だ! 吉村公三郎人と作品』 同朋舎 2001年
- 『キネマの時代 監督修業物語』共同通信社 1985年
- 『映像の演出』 岩波新書、1979年
外部連結
- 日本映画データベース (页面存档备份,存于互联网档案馆)