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荒城之月

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《荒城之月》碑文(仙台城

荒城之月》(日语:荒城の月こうじょうのつき Kōjō no Tsuki */?)是近代日本民谣泷廉太郎(1879~1903)作曲,土井晚翠日语土井晩翠(1871~1952)作词。

荒城之月最早载于日本明治时代五年制音乐课本,是1901年诗人土井晚翠应东京音乐学校(今东京艺术大学音乐系)编辑新音乐教材之需而诞生的作品。土井晚翠受到东京音乐学校的委托,替中学音乐教材创作歌词;这篇“荒城之月”的题目勾起了他的幽思,创作了四段优美哀凄的诗文。

关于题目中的城具体是哪一座,有多种说法。

  1. 土井晚翠的居住地仙台仙台城,词中“千代の松”的“千代”即是仙台的古称。
  2. 导致江户幕府倒台、幕藩体制终结的关键战役戊辰战争的发生地点会津藩会津若松城
  3. 泷廉太郎小时候居住过的丰后竹田冈城
  4. 泷廉太郎曾居住过的富山富山城

\relative c' {
\new PianoStaff <<
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a'4 a4 d4 e4 | f4 e4 d2 | bes4 bes4 a4 gis4 | a2. r4 |
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}
\addlyrics {
は る こ う ろ う の は な の え ん
め ぐ る さ か ず き か げ さ し て
ち よ の ま つ が え わ け い で し
む か し の ひ か り い ま い ず こ
}
>>
}

日文原词

  1. 春高楼(かうろう・こうろう)の花の宴(えん) 巡る盃(さかづき)影さして
    千代の松が枝(え)分け出(い)でし 昔の光今いづこ
  2. 秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁(かり)の数見せて
    植うる剣(つるぎ)に照り沿ひし 昔の光今いづこ
  3. 今荒城の夜半(よは・よわ)の月 変はらぬ光誰(た)がためぞ
    垣に残るはただ葛(かずら) 松に歌ふ(うとう)はただ嵐
  4. 天上影は変はらねど 栄枯(えいこ)は移る世の姿
    映さんとてか今も尚 ああ荒城の夜半の月

中文翻译

春高楼兮花之宴 交杯换盏欢笑声 千代松兮枝头月 昔日影像何处寻
秋阵营兮霜之色 晴空万里雁字影 铠甲刀山剑树闪 昔日光景何处寻
今夕荒城夜半月 月光依稀似往昔 无奈葛藤满城垣 孤寂清风鸣松枝
天地乾坤四时同 荣枯盛衰世之常 人生朝露明月映 呜呼荒城夜半月[1]

应用

该曲为仙台市地下铁报时音乐。另该曲经过编曲后,做为大分放送电视广播服务的收播短片(局名告知)。

参考文献

  1. ^ 茂吕美耶. 物語日本. 远流出版. 2004: 170–175.