長岡藩 (越後國)
長岡藩(日语:長岡藩/ながおかはん Nagaoka han */?)是日本江戶時代的一個藩。位在越後國,統治古志郡全域及三島郡東北部、蒲原郡西部。現在的新潟縣長岡市・新潟市。藩廳是長岡城。為了區別山城長岡藩,所以也稱作越後長岡藩。
沿革
元和2年(1616年),高田藩主松平忠輝被除封後,外様大名堀直寄以8萬石入封古志郡的舊藏王堂藩領,在長岡(現長岡車站周邊)築城,長岡藩立藩。元和4年(1618年),直寄轉封越後村上,譜代大名牧野忠成由長峰藩5萬石入封長岡,加增為6萬2000石。牧野家的統治持續到幕末,河井繼之助在幕末期慶應年間進行藩政改革。戊辰戰爭時加入奧羽越列藩同盟,敗北減封至2萬4000石。明治3年(1870年),廢藩。
藩風
藩風從藩祖以來的「常在戰場」等,提倡質朴剛健的三河武士精神。明治初期的藩政再建中,大參事小林虎三郎將支藩三根山藩贈送的米百俵,用於教育的「米百俵的精神」也是來自此藩風,之後也成為長岡人的特質。
歷代藩主
堀(ほり)家
外様 80,000石 (1616年~1618年)
- 直寄(なおより)
牧野(まきの)家
譜代 74,000石 (1618年~1870年)
- 1616~1655 駿河守 忠成(ただなり)
- 1655~1674 飛驒守 忠成(ただなり) 繼承先代之名(嫡孫承祖)
- 1674~1721 駿河守 忠辰(ただとき)
- 1721~1735 駿河守 忠寿(ただかず)
- 1735~1746 土佐守 忠周(ただちか)
- 1746~1748 駿河守 忠敬(ただたか)
- 1748~1755 駿河守 忠利(ただとし)
- 1755~1766 駿河守 忠寛(ただひろ)
- 1766~1831 備前守 忠精(ただきよ)
- 1831~1858 備前守 忠雅(ただまさ)
- 1858~1867 備前守 忠恭(ただゆき)
- 1867~1868 駿河守 忠訓(ただくに)
- 1868~1870 忠毅(ただかつ)
支藩
与板(與板)藩→小諸藩
与板(與板)藩(よいたはん),1634年創立,初代藩主是牧野康成,1萬石。(詳細參照→「与板藩」・「小諸藩」)
三根山藩
三根山藩(みねやまはん),1634年創立,初代藩主是牧野忠成之四男定成,6000石。(詳細參照→「三根山藩」)
關宿藩→吉田藩→延岡藩→笠間藩
參照→關宿藩(せきやどはん)、吉田藩(よしだはん)、延岡藩(のべおかはん)、笠間藩(かさまはん)。