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陆军省

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陸軍省(1937-1945),所在地為今自衛隊市谷駐屯地防衛省廳舍
日語寫法
日語原文陸軍省
假名りくぐんしょう
平文式罗马字Rikugun-shō

陸軍省日本第二次世界大战以前主管大日本帝国陸軍的內閣機構及軍政機關,相當於世界各國陸軍部。部門主官稱陸軍大臣


沿革

1872年(明治5年)2月,陸軍省从兵部省独立出来,与海軍省一同被单独設置。

1945年(昭和20年)12月1日陸軍省改組为第一復員省(《第一復員省官制》,昭和20年11月30日勅令第675号),1946年(昭和21年)6月14日与旧海軍省改组而成的第二復員省合并为復員厅,1947年(昭和22年)10月被撤销。

旧陸軍省的财产全部被大藏省(现在的财务省)处理,陸軍省资料的一部分被防卫省厚生劳动省继承。另外,陸軍軍人的兵歷从当時的連隊区司令部转交各都道府县管理。

陸軍卿、陸軍大輔

陸軍卿、陸軍大輔列表
  歴代陸軍卿 歴代陸軍卿代理 歴代陸軍大輔
補職日 陸軍卿 階級 出身 備考 陸軍卿代理 階級 出身 備考 陸軍大輔 階級 出身 備考
1872年(明治5年) 2月 27日      
2月 28日     山縣有朋 中将 山口  
1873年(明治6年) 4月 18日     山縣有朋辞任
4月 29日   山縣有朋 中将 山口    
6月 8日 山縣有朋 中将 山口      
7月 2日 山縣有朋 中将 山口     西乡从道 少将 鹿儿島  
1874年(明治7年) 2月 8日     西乡从道 少将 鹿儿島  
3月 31日     津田出 少将 和歌山 在任:西乡从道 2名
4月 5日   津田出 少将 和歌山   津田出 少将 和歌山 在任:西乡从道 2名
6月 30日 山縣有朋 中将 山口     津田出 少将 和歌山 在任:西乡从道 2名
7月 8日 山縣有朋 中将 山口     西乡从道 少将 鹿儿島  
1875年(明治8年) 5月 22日 山縣有朋 中将 山口      
1876年(明治9年) 1月 8日 山縣有朋 中将 山口     鳥尾小弥太 中将 山口  
3月 31日 山縣有朋 中将 山口      
1877年(明治10年) 2月 24日 山縣有朋 中将 山口   西乡从道 中将 鹿儿島    
11月 26日 山縣有朋 中将 山口      
1878年(明治11年) 9月 12日 山縣有朋 中将 山口 (兼)西乡从道    
11月 8日 山縣有朋 中将 山口      
12月 24日 西乡从道 中将 鹿儿島      
1880年(明治13年) 2月 28日 大山巖 中将 鹿儿島      
1883年(明治16年) 9月 6日 大山巖 中将 鹿儿島   山縣有朋 中将 山口    
10月 9日 大山巖 中将 鹿儿島      
1884年(明治17年) 2月 13日 大山巖 中将 鹿儿島   西乡从道 中将 鹿儿島    
1885年(明治18年) 1月 25日 大山巖 中将 鹿儿島      
12月 22日 内閣官制(内閣職権)により陸軍卿は陸軍大臣に,陸軍大輔は陸軍次官に改称。

陸軍大臣

歴代陸軍大臣一覧
歴代陸軍大臣
成立、補職日 内閣 陸相 階級 兵科 陸士 陸大 出身 備考
1885年(明治18年) 12月 22日 第1次伊藤内閣 1 大山巖 中将 鹿儿島 内閣官制が定められ陸軍省の主任が陸軍卿から陸軍大臣となる。
1888年(明治21年) 4月 30日 黑田内閣 2
1889年(明治22年) 12月 24日 第1次山縣内閣 3
1891年(明治24年) 5月 6日 第1次松方内閣 4
17日 5 高島鞆之助 中将 鹿儿島  
1892年(明治25年) 8月 8日 第2次伊藤内閣 6 大山巌 大将 鹿儿島  
1896年(明治29年) 9月 18日 第2次松方内閣 7
20日 8 高島鞆之助 中将 鹿儿島 拓相兼任
1898年(明治31年) 1月 12日 第3次伊藤内閣 9 桂太郎 中将 山口  
6月 30日 第1次大隈内閣 10
11月 8日 第2次山縣内閣 11
1900年(明治33年) 10月 19日 第4次伊藤内閣 12
12月 23日 13 儿玉源太郎 中将 步兵 山口 台湾總督兼任
1901年(明治34年) 6月 2日 第1次桂内閣 14
1902年(明治35年) 3月 27日 15 寺内正毅 中将 步兵 山口 日露战争を処理する。
1906年(明治39年) 1月 7日 第1次西園寺内閣 16
1908年(明治41年) 7月 14日 第2次桂内閣 17
1911年(明治44年) 8月 30日 第2次西園寺内閣 18 石本新六 中将 工兵 旧1期 兵庫 薩長出身者以外で初の陸相就任。陸軍士官学校士官生徒出身で初の陸相就任。明治45年4月2日,在職中に死去。
1912年(明治45年) 4月 5日 19 上原勇作 中将 工兵 旧3期 宮崎 二個師団増設問題で単独辞任し西園寺内閣を「毒殺」(当時の表現)する。
1912年(大正元年) 12月 21日 第3次桂内閣 20 木越安綱 中将 步兵 旧1期 石川  
1913年(大正2年) 2月 20日 第1次山本内閣 21
6月 24日 22 楠瀬幸彦 中将 砲兵 旧3期 高知  
1914年(大正3年) 4月 16日 第2次大隈内閣 23 岡市之助 中将 步兵 旧4期 4期 京都  
1916年(大正5年) 3月 30日 24 大島健一 中将 砲兵 旧4期 岐阜  
10月 9日 寺内内閣 25
1918年(大正7年) 9月 29日 原内閣 26 田中義一 中将 步兵 旧8期 8期 山口  
1921年(大正10年) 6月 9日 27 山梨半造 中将 步兵 旧8期 8期 神奈川 原内閣の途中から入閣する。山梨軍縮を行う。
11月 13日 高橋内閣 28
1922年(大正11年) 6月 12日 加藤友三郎内閣 29
1923年(大正12年) 9月 2日 第2次山本内閣 30 田中義一 大将 步兵 旧8期 8期 山口  
1924年(大正13年) 1月 7日 清浦内閣 31 宇垣一成 中将 步兵 1期 14期 岡山 陸軍士官学校士官候補生第1期出身の陸相就任。宇垣軍縮を行う。
6月 11日 加藤高明内閣 32
1926年(大正15年) 1月 30日 第1次若槻内閣 33
1927年(昭和2年) 4月 20日 田中義一内閣 34 白川義則 大将 步兵 1期 12期 愛媛 山東出兵日语山東出兵を処理する。
1929年(昭和4年) 7月 2日 濱口内閣 35 宇垣一成 大将 步兵 1期 14期 岡山  
1931年(昭和6年) 4月 14日 第2次若槻内閣 36 南次郎 大将 騎兵 6期 17期 大分 騎兵科出身で唯一の陸相就任。
12月 13日 犬養内閣 37 荒木貞夫 中将 步兵 9期 19期 東京  
1932年(昭和7年) 5月 26日 齋藤内閣 38
1934年(昭和9年) 1月 23日 39 林銑十郎 大将 步兵 8期 17期 石川  
7月 8日 岡田内閣 40
1935年(昭和10年) 9月 5日 41 川島義之 大将 步兵 10期 20期 愛媛 二、二六事件を処理する。
1936年(昭和11年) 3月 9日 廣田内閣 42 寺内寿一 大将 步兵 11期 21期 山口  
1937年(昭和12年) 2月 2日 林内閣 43 中村孝太郎 中将 步兵 13期 21期 石川 7日間のみの短期陸相。
9日 44 杉山元 大将 步兵 12期 22期 福岡  
6月 4日 第1次近衛内閣 45
1938年(昭和13年) 6月 3日 46 板垣征四郎 中将 步兵 16期 28期 岩手  
1939年(昭和14年) 1月 5日 平沼内閣 47
8月 30日 阿部内閣 48 畑俊六 大将 砲兵 12期 22期 福島 「陸軍の総意」として単独辞任し米内内閣を瓦解に追い込む。
1940年(昭和15年) 1月 16日 米内内閣 49
7月 22日 第2次近衛内閣 50 東條英機 中将 步兵 17期 27期 岩手  
1941年(昭和16年) 7月 18日 第3次近衛内閣 51
10月 18日 東條内閣 52 大将 首相兼任。後に参謀総長も兼任。更に陸軍大臣も兼任する。
1944年(昭和19年) 7月 22日 小磯内閣 53 杉山元 元帥 步兵 12期 22期 福岡  
1945年(昭和20年) 4月 7日 鈴木貫太郎内閣 54 阿南惟幾 大将 步兵 18期 30期 大分 終战の大詔が渙発される。昭和20年8月15日未明に自決。
8月 17日 東久邇宮内閣 55 東久邇宮稔彦王 大将 步兵 20期 26期 京都 首相兼任。終战直後の混乱した陸軍の統制を図るため,首相が陸士同期で信頼の厚い下村定大将を陸相に推すことを決めるが,下村大将が満州にあったため帰国するまでの間を首相自身が兼任した。
23日 56 下村定 大将 砲兵 20期 28期 高知 陸軍解体を処理する。
10月 9日 幣原内閣 57
12月 1日 陸軍省廃止。同省の残務処理の為,第一復員省設置。

陸軍次官

内部部局

軍馬局

軍馬局は1874年(明治7年)3月31日に「軍馬局条例」に基づき設置され,軍馬の調教等の馬政業務を掌った。支部として東京に第一厩,仙台に第二厩を設けた。1886年(明治19年)3月1日を以って廃止され,所掌事務は騎兵局第三課が引き継いだ。

歴代軍馬局長
  • 白戸隆盛:明治7年3月31日 - 明治8年11月14日
  • (兼)黑川通軌:明治8年11月14日 - 明治13年4月29日
  • 佐野延勝:明治13年4月29日 - 明治19年3月1日

軍務局

1890年(明治23年)3月1945年设立,

  • 1890年(明治23年)3月27日 軍務局創設,第1軍事課、第2軍事課、馬政課、獣医課、砲兵事務課創設,工兵局を工兵事務課として編入
  • 1896年(明治29年)5月9日 工兵事務課を工兵課に,砲兵事務課を砲兵課に改称
  • 1897年(明治30年)9月3日 兵器課を新設,馬政課を騎兵課に,第1軍事課を軍事課に,第2軍事課を步兵課に改称
  • 1900年(明治33年)5月 兵器課廢止
  • 1903年(明治36年)5月1日 獣医課廢止
  • 1919年(大正8年)4月12日 航空課創設
  • 1926年(大正15年)10月1日 兵務課、兵備課、徴募課、防備課創設,航空課、步兵課、工兵課、砲兵課を廃止,騎兵課を馬政課に改称
  • 1936年(昭和11年)8月1日 創設軍務課,兵務課、兵備課、防備課、馬政課を兵務局へ移行,徴募課を人事局へ移行
  • 1945年(昭和20年)4月28日 依整備局戰備課移行
歴代軍務局長

(※氏名前の括弧は夫々(心)は心得,(扱)は事務取扱,(兼)は兼職を表す。)

人事局

  • 1900年(明治33年)5月20日:人事局創設,设置補任課、恩賞課
  • 1936年(昭和11年)8月1日:徴募課新設
  • 1938年(昭和13年)7月15日:功績調査部を新設
  • 1939年(昭和14年)1月16日:徴募課移交给兵務局管理
歴代人事局長

(※階級は就任時のもの,前身の人事課長も掲げた)

兵器局

在日俄战争艰难获胜的日本由于发现研究和改良兵器的必要性,于明治41年12月设立兵器局。最初仅下辖枪砲課,器材課两个部门。

  • 明治41年12月21日:兵器局新设立,下辖枪砲課,器材課
  • 大正7年6月6日:设立工政課
  • 大正15年9月30日:废除工政課
  • 昭和11年8月1日:废除器材課,设立機械課
  • 昭和16年4月10日:复立器材課
  • 昭和17年10月15日:改组为兵器行政本部
歴代兵器局長

整備局

  • 大正9年8月10日:作战資材整備会議を設置
  • 大正15年10月1日:整備局新設,動員課、統制課を置く
  • 昭和11年8月1日:動員課、統制課を廃止,战備課、整備課を置く
  • 昭和14年1月16日:整備課を廃止,工政課、資源課、交通課を置く
  • 昭和16年4月10日:資源課を燃料課と改める。
  • 昭和17年10月9日:工政課を廃止
  • 昭和20年4月28日:整備局廃止,業務を軍務局、兵務局、陸軍燃料本部へ移管
歴代整備局長
  • 作战資材整備会議幹事長
  • 整備局長
    • 松木直亮 少将:大正15年10月1日 -
    • 小磯國昭 少将:昭和4年8月1日 -
    • 林桂 少将:昭和5年8月1日 -
    • 山岡重厚 少将:昭和9年3月5日 -
    • 山脇正隆 少将:昭和10年12月12日 -
    • 上月良夫 少将:昭和13年7月15日 -
    • 山田清一 少将:昭和14年9月12日 -
    • 吉積正雄 少将:昭和17年4月24日 -
    • (兼)吉積正雄 中将(軍務局長):昭和20年3月27日 -

兵務局

  • 昭和11年8月1日:兵務局新設,所属課は兵務課、防備課、馬政課。
  • 昭和14年1月16日:防備課廃止,兵備課、防衛課新設
  • 昭和17年10月15日:獣医課新設
  • 昭和20年4月27日:馬政課、防衛課、獣医課廃止
  • 昭和20年11月9日:規律課新設
歴代兵務局長

※就任階級は那須義雄の大佐で就任した"心得"を除き陸軍少将。

経理局

  • 明治5年2月27日:陸軍省創設に際し,会計局が設けられる
  • 明治6年3月24日:陸軍省職制が改正され会計事務を掌る第五局が置かれる。
  • 明治12年10月10日:陸軍省達乙第72号により第五局が会計局と改められる。
  • 明治24年8月16日:会計局を経理局と改める。
  • 明治33年5月20日:経理局に主計課、建築課、被服課、糧秣課を置く。
  • 明治36年5月1日:糧秣課と被服課を統合し衣糧課を置く。
  • 明治36年11月30日:勅令第182号により陸軍監督総監を陸軍主計総監(中将相当官)と改める。
  • 大正13年12月20日:監査課を置く。
  • 昭和20年4月27日:監査課を廃止する。
歴代経理局長
  • 日付は就任日,その後の階級は就任時,括弧内は備考
  • 氏名前の括弧は夫々(心)は心得,(扱)は事務取扱,(兼)は兼職を表す。
  • 会計局長
    • 船越衛:明治5年2月27日/陸軍大丞(前職は兵部省会計局長)
  • 第五局長
    • 津田出:明治6年3月29日/陸軍少将(明治7年7月から陸軍会計監督長を兼ねる。後に貴族院議員)
  • 会計局長
    • 田中光顕:明治12年10月14日/陸軍会計監督長(後に,宮内大臣、陸軍少将)
    • 川崎祐名:明治14年10月31日/陸軍会計監督長
    • (心)野田豁通:明治24年4月15日/陸軍一等監督(明治30年4月8日任監督総監,後に男爵、貴族院議員)
    • 野田豁通:明治24年6月1日/陸軍監督長
  • 経理局長
    • 野田豁通:明治24年8月16日/陸軍監督長
    • 外松孫太郎:明治34年4月15日/陸軍監督監(明治38年8月29日任陸軍主計総監,後に男爵、貴族院議員)
    • 辻村楠造:明治42年8月1日/陸軍主計監(大正2年3月4日任陸軍主計総監)
    • 隈徳三:大正3年5月11日/陸軍主計監(大正3年8月8日任陸軍主計総監)
    • 田中政明:大正7年7月19日/陸軍主計監(大正7年7月24日任陸軍主計総監)
    • 三井清一郎:大正12年10月10日/陸軍主計総監(後に貴族院議員)
    • 中村精一:昭和3年12月21日/陸軍主計監
    • 小野寺長治郎:昭和6年8月1日/陸軍主計監(後に貴族院議員)
    • 平手勘次郎:昭和9年8月1日/陸軍主計総監
    • 石川半三郎:昭和12年8月14日/陸軍主計監
    • 栗橋保正:昭和16年3月1日/陸軍主計少将(昭和16年8月任陸軍主計中将)
    • 森田親三:昭和20年7月5日/陸軍主計中将(昭和20年12月 - 昭和21年6月第一復員省経理局長)

医務局

歴代医務局長
歴代医務局長
補職日 職名 階級 位階 勲等 功級 氏名 前職 出身 経歴
明治15年9月25日 陸軍軍医本部御用掛 陸軍軍医総監 松本順 静岡县士族
明治18年5月21日 陸軍軍医本部長 陸軍軍医総監從五位勲三等 橋本綱常 福井县士族 任陸軍軍医総監と同日に補陸軍軍医本部長。
明治19年3月1日 軍医局長 陸軍軍医総監從四位勲三等 橋本綱常 陸軍軍医本部長 福井县士族 明治23年10月4日に予備役。
明治23年10月7日 軍医局長 陸軍軍医総監正五位勲三等 石黑忠悳 新潟县
明治30年9月28日 軍医局長 陸軍軍医監正五位勲三等 石阪惟宽 第四師団軍医部長 岡山县士族
明治31年8月4日 軍医局長 陸軍軍医監從五位勲六等功四級 小池正直 山形县士族
明治40年11月13日 軍医局長 陸軍軍医総監正四位勲二等功三級
医学博士文学博士
森林太郎 島根县士族 (作家、森鷗外
大正5年4月13日 軍医局長 陸軍軍医総監從四位勲二等功四級 鶴田禎次郎 佐賀县士族
大正12年3月17日 軍医局長 陸軍軍医総監正五位勲二等功四級 山田弘倫 陸軍軍医学校 岡山县士族

法務局

歴代法務局長
  • 法官部長
    • (兼)桂太郎:明治21年11月16日/少将(陸軍次官の兼職)
    • 渡辺央:明治23年6月7日/少将
    • (兼)儿玉源太郎:明治26年4月12日/少将(陸軍次官の兼職)
    • 井上義行:明治29年5月20日/文官、理事(在職中に死去)
    • (兼)中村雄次郎:明治32年12月27日/少将(陸軍次官の兼職)
  • 法務局長
    • (兼)中村雄次郎:明治33年5月20日/少将(陸軍総務長官の兼職)
    • (兼)石本新六:明治35年4月17日/少将(陸軍総務長官の兼職)
    • 志水小一郎:明治38年12月28日/文官(後に貴族院議員)
    • 松本慶次郎:大正10年3月30日/文官
    • 中山庸次郎:大正13年2月15日/文官
    • 鈴木直太郎:昭和4年12月21日/文官
    • 大山文雄:昭和7年12月19日/文官
    • 藤井喜一:昭和20年4月1日/法務中将
    • 大山文雄:昭和20年11月8日/法務中将(昭和20年12月1日から第一復員省法務局長,昭和21年6月15日より復員厅第一復員局法務調査部長)

外局等

相關條目

參考文獻

  • 山下政三:《鴎外森林太郎と脚気紛争》,日本評論社,2008年(平成20年).